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犬耳なキノさんのお話(シズキノ)

タイトル通りの犬耳装備なキノさんのお話です。
犬耳、犬しっぽの生えたキノさんに引っ掻き回されるシズ様の旅。
だけど、そこにはキノさんの胸に秘めた想いが……。
旅するキノさんの気持ちを想像すると、いつも色々考えてしまいます。






そよ吹く風邪が広がる草原を波打たせる。流れる小川が穏やかな春の陽射しを反射して、キラキラと輝く。
それほど高くない山と山の間に囲まれて、その国はあった。ぐるりと丸い城壁に囲まれた、いかにも平和そうな、どこにでもあるような国だった。
しかし、今日ばかりは少し様子が違うようだった。国の中への入り口、城門の辺りがなにやら騒がしい。
「貴方のような人間を入国させるわけにはいきません」
「そ、そこをなんとか…」
「くどい!!」
怒鳴り上げる声が響いて、草原の静寂が少し破られる。それからいくらかの間をおいて、エンジン音と共に一台のバギーが城門から出てくる。
「また入国拒否されてしまった……」
その運転席に座っていたのは緑色のセーターを着た長身の男、しょんぼりと肩を落としてため息を付いている。
「……………」
運転席に座る男の隣、助手席に納まっているのは年の頃12歳ほどの、白い髪の女の子。
そして、いつも笑ってるような顔をしてるけど、いつも笑ってるわけじゃないお馴染みのあの白くて大きくてフワフワモコモコの犬じゃなくて……
「まったく、こう立て続けだと困っちゃいますよね。ワン!」
精悍な顔をした旅人の女の子、パースエイダーの有段者、みんな大好きつるぺた娘、キノがそこにいた。
しかもキノさん、なんだか知らないがいつもと様子が違っている。頭とお尻になにやら白い犬の耳と犬のしっぽをそれぞれ生やしているのだ。
さらにその上、今のキノさんはなにやら言動もおかしいようで
「ワン!じゃないですよ。キノさん……」
「何言ってるんですか、今のボクは陸君ですよ。ワン!」
「キノさぁんっっ!!!」
「だから、陸君ですって」
こんな調子で自分の事を陸だと主張するのだから、シズの心労は推して知るべしだろう。
もうウンザリといった口調のシズの横で、キノは平然とした表情で犬耳をピコピコさせている。
「………ああ、一体何がどうなってるんだ?」
俯いてハンドルに寄りかかったシズが呟く。
そんなシズの様子を見ていたキノは、ふっと微笑んでこう言った。
「そんなに肩を落とさないでくださいよ、シズさん。ボクだって頑張りますよ。シズさんのいる所がボクのいるべき所なんですから、ワン!」
優しいキノの言葉を聞いて、シズの口からまた大きなため息が漏れる。
本当にどうしてこんな事になってしまったのか?
事の起こりは1週間ほど前にさかのぼる。

ちろちろと二回ほど、暖かく湿った何かが頬を撫でるのを感じた。夢と現の狭間を彷徨っていたシズの意識が、その感触の心地よさで覚醒に向かう。
誰かがシズの頬を舐めているのだ。
「んん、陸か?」
今のシズの近くでこんな事をしてくるのは、シズの旅の相棒である犬の陸しか考えられなかった。
いつもはほっぺたを舐めてくるような甘えん坊ではないのに、今日はどうした事だろう。シズの目を覚まさせるのなら吼えるだけで十分な筈だし。
「ふぁ~。陸、おはよう」
寝ぼけ眼を擦りながら体を起こす。しかし、シズの前にはここにいるはずの陸の姿が見えない。しばらくぼんやりとしたまま辺りを見回すが、やっぱりいない。
と、突然シズの背中に何者かが覆い被さった。
「……なっ!?」
寝ぼけていたとはいえ、半端な賊の接近を許すようなシズではない。それがこうも簡単に後を取られていたとは。
まさか陸は既にやられてしまったのか?ならば先程シズの頬を舐めたのは?
一瞬の間にシズの頭の中を駆け抜けた思考は、背中に覆い被さった賊の声で打ち消された。
「おはようございます。シズさん」
「えっ!?」
聞き覚えのある声、十代半ばほどの少女の声、シズはこの声の主を知っている。
「キノさん!?」
振り返ったシズの目の前には、今も彼の脳裏に鮮やかに焼きついているその少女の姿があった。
短めに切った黒髪、ぺったんこな胸、間違えようがない、彼女は旅人のキノさんだ。しかしこのキノさん、何か余計なものがついているような気が……。
「違いますよ、シズさん。ボクはキノじゃありません」
真っ白ふさふさの犬耳犬しっぽが、キノの頭とお尻で揺れている。
なんだ、これは?
全く自体のつかめないシズに対して、キノはこう言って微笑んで見せた。
「今のボクは、陸君なんです。ワン!」
よく見ると犬耳キノの首には、鎖付きの皮製の首輪がつけられている。首輪に取り付けられたネームプレートにはご丁寧に『陸』と書かれていた。
「…………………キノさん」
「はい?」
「やっぱりキノさんじゃないですか。キノさんなんでしょう!!」
「いやいや、まあ確かにそうなんですけど、今のボクはキノである前に陸君なんですよ」
「何言ってるんですか!!大体こんな首輪なんかして、本物の陸は首輪なんてつけていませんよ!!!」
「でも、ボクは見ての通りしっぽと耳以外は人間のまんまですから、シズさんの飼い犬としての雰囲気を出すために」
「だからなんでキノさんが私の飼い犬なんです?そもそも陸はどこに行ってしまったんです?」
「さあ、ボクにもさっぱり……」
凄まじい剣幕で叫び続けたシズは息を切らせてへたりこむ。
なんなんだ?一体何がどうなったら、こんなイカれた状況が……。
一転して黙り込んでしまったシズの肩に、キノは優しく手を置いて、少し恥ずかしそうにこう言って
「えっとシズさん。なんていうか…その……ふつつかものですが、よろしくお願いします。ワン!」
カチャン、と首輪についた鎖の先の金具をシズのベルトへと取り付けた。

まあ、それだけなら良かったのだ。それだけなら……。
「なるほど、シズさんにティーさんですか。それから、お隣のその子は……」
じっとりとした入国審査官の視線がシズの横に座った犬耳キノへと注がれる。
「あ、あの、彼女はキノさんと言って……」
「ボクはシズさんの飼い犬の陸君と言います。ワン!」
しどろもどろに答えようとしたシズの言葉を、キノのはきはきとした言葉が遮った。
面食らった入国審査官はその言葉の意味をしばらく吟味して、仲良く並んで座るシズ、キノ、ティーを順に眺めてから……。
「残念ですが、貴方たちの入国を許可する事はできません」
冷酷に、その言葉を言い放った。
「そんな!」
「残念ですが、わが国は貴方たちのようないかがわしい人間を入国させる事はできません」
「い、いかがわしいって…」
「個人的な趣味というのは仕方がありません。ロリコンってのはどうかと思いますが、旅人の方にまでわが国の価値観を押し付けるわけには参りません。しかし……」
入国審査官はありったけの軽蔑を込めた眼差しで睨みつける。
「奴隷商人、人買いの類はそもそも法律で入国を禁止されています。幼女二人を手篭めにして何考えてるのか知りませんが、この国に貴方の居場所はありません」
もう、シズはぐうの音も出なかった。
「まったく、人間を犬呼ばわりして、鎖なんかで繋いで、許されるものならこのパースエイダーで貴方に風穴開けたいぐらいですよ」
というわけで、シズ様ご一行は城壁の外へと放り出される。
「元気出してください、シズさん」
暖かくありがたいキノさんのお言葉、しかし打ちのめされたシズは、しばらくはまともに喋る気にもなれそうにない。
一体これで何度目だろう?
現在シズ達が旅をしている辺りの国々は、総じてモラルが高いようだった。
人間を首輪で繋いで犬呼ばわりの、ロリコン変態を入国させてくれる奇特な国はこれまでのところ存在しなかった。
なんとか穏便に済ませようとしても、キノが執拗に自分を飼い犬だと主張する。外しても外しても、シズのベルトに首輪の鎖を繋いでくる。
実際のところ、シズは陸を飼い犬じゃなくて頼りになる相棒だと思っていたし、鎖なんかで繋いでもいなかったのだが、キノさんはお構い無しのご様子である。
このままではヤバイ。どこにも入国できないのでは旅をしている意味がないし、そもそも食料を始めとした消耗品が不足し始めている。
ウンザリとした気持ちで助手席の方を見ると、シズの横顔を見つめていたキノと目が合う。その頭の上で揺れている犬耳を見て、さらにウンザリ。
(……ああ、キノさんを見てウンザリするなんて……)
このままキノさんを嫌いになってしまったら……。考えたくもない未来を想像して、シズはさらにさらにウンザリに取り込まれていく。
泣きたい気分だった。
どうにかしなくてはいけないのだけれど、どうする事も出来ない。
完全に手詰まり、袋小路の行き止まり、チェックメイトで打つ手無し。
シズに出来る事はせいぜい、海よりも深くため息をついて、こう呟く事だけだった。
「……………はぁ、何でこんな事になってしまったんだ?」

なんて、一人で疑問を抱えていても何の解決にもならない事は目に見えている。何事においても問題を解決するには、その原因を探るところから始めなければなるまい。
というわけで当事者に質問してみることにした。
もう何日目になるかわからない野宿の夜、焚き火を前にしてシズが、キノに問い掛けてみた。
「ボクが陸君になってしまった理由ですか?う~ん、見当もつきませんね」
「少しでもヒントが欲しいんだ。思い当たる事があれば何でもいい」
「そうですね………」
しばらく尻尾をパタパタやりながら考え込んでいたキノが、何を思い出したのかふいに顔を上げる。
「そういえば、関係あるかどうかは微妙なんですけれど、つい先日立ち寄った国で……」
キノがこんな状態になるほんの少し前に、彼女は森の中に小さな寂れた寺院を見つけた。
もうほとんど遺跡と言ってもいいほどボロボロな寺院だったけれど、どうやらまだお参りに来る人もいるようできれいな花なんかが供えられていた。
しばらくその場に佇んで、辺りを流れる穏やかな空気を楽しんでいたキノだったが、不意に後から声をかけられた。
「あんた、旅人さんかね?」
振り返ると長い白ひげを生やした老人が一人いた。「ええ、そうです」と答えたキノに、老人はこ寺院の事を説明してくれた。
「これはな、ここいらの神様をお祭りしとる建物でな。そいでな、この神様というのがなかなか有難い神様でな……」
「というと?」
「ウム、昔からいわれとる事なんじゃが、この神様にお願いするとな、何でも自分の望みのものになることが出来るんじゃ」
老人によると、ここの神様のお陰で王様になった靴職人、偉い僧侶になった百姓、願いがかなった者の伝説は山ほどあるのだという。
「なかなか豪気な神様じゃろ?自分のあり方なんて、そもそも簡単には思い通りにならんと言うのに。あんたも、ホレ、何か願い事をしてみんか?」
というわけで言われるままに、キノは願い事をしてみた。
「それで、ボクは……飼い犬になってみたいと願ったんです」
「飼い犬に?何故です?」
「……それは、その、前日にお金持ちに飼われて随分贅沢そうな暮らしをしてる犬を見たので……その、少し羨ましかったんですよ。沢山ご飯を食べてたし……」
悪戯の言い訳をするように、自分が犬になることを願った理由を説明したキノ。シズはなんだか納得がいかないような表情で腕組みをして
「なんだか、変ですね。本当にそんな事を願ったんですか?」
「はい、願いましたよ」
「なんだかキノさんらしくない願いですね……」
するとキノは少しだけ不機嫌そうな表情を浮かべて反論する。
「別に、ただの気まぐれですよ」
「そうですか?」
「それに、ボクらしいとか、らしくないとか、それこそあんまり意味のある話だとは思えません」
ちょっとだけ、ムキになったような口調だった。シズはなんとなく言い返せなくなってしまう。
「ボクにだって、ボク自身の全てがわかるわけじゃない。ボクじゃないシズさんなら、なおさらでしょう?」
確かにその通りだった。
「とにかく、ボクが陸君になってしまった件について、思いつくのはそれぐらいですね……」
そう言って一方的に話を打ち切ったキノは、シズの横で犬がするように丸くなって、シズの膝の上に頭を置いた。
「キ、キノさん?」
「今のボクは犬なので、こういうこともします。ワン」
と言って、シズがうんとも、いやとも言う前に、目を閉じて眠りに落ちていった。
無理にどけるわけにもいかず、シズは動けなくなってしまう。どうにもキノさん、気まぐれ加減は犬と言うより猫のようだった。まあ、どうでもいい事だが。
「神様へのお願いか。確かにこの状況、少しばかり神がかってはいる」
神様の力だとしたら厄介である。元に戻す術がない。キノが犬のままで、態度も今のままならば、当面どこもシズ達を受け入れてくれないだろう。
「………となると、一体どうやって食いつなごう?」
考えてみたが暗い未来予想図が浮かんでくるばかりだったので、シズは諦めて、キノを抱きかかえたまま眠りに付く事にした。

と思いきや、事態はあっけなく解決に向かった。
「どうぞどうぞ旅人さん、歓迎しますよ」
審査とも言えない様な簡単な審査を終えて、シズ達はその国の中に足を踏み入れた。
あれだけ思いつめたのが嘘のように、すんなりと入国を許されて、シズは素直に喜んで良いのか微妙な表情を浮かべていた。
まあ、入れないより入れるにこした事はないだろう。国の顔であるはずの入国審査官が、顔に斜めに傷の走った悪人面だったのは気になるが。
「ともかく、今夜の宿を探すとしよう」
入国する時にもらった地図を頼りに、宿への道を急ぐ。恐ろしく小さな国だったので、迷うことなくシズ達はその宿に辿り着いた。
そこは………。
「な、何だこれは?」
そこにあったのは一見お城のような、しかし致命的に安っぽい建物だった。
この雰囲気にはシズも見覚えがある。盛りのついた男女が二人して、仲睦まじく共に夜を過ごす場所、っていうか……
「……ラブ……ホ……」
みなまで言うまい。いや、もう言ってるようなものだけど……。
何度も地図を確かめる。シズは確かに、国一番の宿だと聞いてここに来たのだ。しかし、どうやら地図もシズも間違いは犯していないようだった。
そこでふとシズは気が付く。
「いかがわしい事を理由にどの国でも入国拒否された私たちが、この国に限っては簡単に入国する事ができた。これは、もしかして……」
ぐるりと辺りを見回すと、道行く人の腕に刺青、でっかい傷、ビョウのついた服、皆一様にどこか擦り切れたような雰囲気を漂わせている。
誰も彼もがカタギには見えない。と言うよりこの国にはいわゆるカタギの人間は存在していないようだ。
いかがわしいシズ達を受け入れた国もまた、どうやら十分にいかがわしいようだった。
「ははは、面食らってるようだネ。お兄さん」
と、突然後から声をかけられて、シズは振り返った。ヨレヨレのタキシードに身を包んだ、胡散臭い男がそこにいた。
「あ、すみません。私は…」
「うちのお客さんだロ。さあ、入った入っタ」
強引な男に引っ張られて、シズ達は安っぽい城の中に入る。
「ま、アンタが何言いたいかはわかるヨ。いかがわしい事この上ないからネ。このホテルも、この国も」
「いや、そんな事は……」
「んな、無理しなくていいヨ。面食らってるのはコッチも同じ。幼女二人も連れて、豪気なロリコンもいたもんだネ」
やっぱり、そう思われてるのか。なんて落ち込んでる暇もなく、シズ達はホテルのロビーのボロソファーに座らされた。
男は奥に引っ込んでから、人数分のお茶を用意して戻ってきた。
「ささ、冷めない内にどうゾ」
注がれた紅茶の芳しさに、最近は食いつなぐのがやっとで、嗜好品からはとんとご無沙汰になっていたシズ達はゴクリと唾を飲み込む。
最初に口をつけたのはキノだった。
「……美味しいです。こんな美味しいお茶は初めてです」
「ははは、喜んでもらえて嬉しいヨ」
キノの言葉に、男は顔をくしゃくしゃにして笑う。
「ま、この国は見てくれはともかくサービス充実、犯罪も少ないホントいい国なんだヨ。誰でも分け隔てなく受け入れてくれるしね。そう、例えば人買いロリコン男だって」
あまりに露骨な男の言い方に、シズは思わずお茶を吹き出す。
「ち、違いますよ。私は人買いなんかじゃなくて…」
「そうです!!ボクはシズさんの飼い犬なんですから、ワン!!」
うっかり『ロリコン』の方を否定し忘れたシズの言葉を、キノが遮る。
「って、キノさん。それは違うでしょう!」
「シズさんこそ、今のボクは陸君だって何度言ったらわかるんです?」
それはこっちの台詞だと叫びたい気持ちを無理矢理押さえつけ、シズは男に向かってこれまでの事情を説明した。
「それは、なんとも不思議な話ですネ」
「ええ、それからはもう苦労のしっぱなしで……」
どうやら男は納得してくれたようで、シズに対する人買い奴隷商疑惑も払拭されたようだった。
「なるほどなるほど、それなら尚の事、みなさんにはしっかり休んで貰わなければなりませんネ。御3人のためにとっておきの部屋を……」
と立ち上がった男の腕を、シズの手がぐいと掴む。
「む、どうかしましたカ?」
「いえ、その……」
シズは傍目から見てちょっとおかしいぐらい躊躇いながら、こう言った。
「部屋の事で少しだけ、注文があります」

「どうしてですか?シズさん」
ホテル最上階の廊下で、ポツリとキノが呟いた。
「どうしてボクだけ、この部屋なんですか?」
「キノさんに十分、休養を取ってもらいたいからだよ」
シズがこのホテルのオーナーにした部屋に関する注文、それはまあ、聞いてみればどうと言う事のないものだった。
シズとティーは普通の部屋を、そしてキノだけはこのホテルで一番の部屋をあてがってほしい。たったそれだけだった。
しかし、部屋の等級が違えば、当然配置も異なってくる。となると、キノの部屋とシズの部屋は当然離れ離れになるわけで……。
「…………鬱陶しかったんですか?シズさん……」
「誤解だ、キノさん」
「ごめんなさい。正直、はしゃぎすぎていました。ずっとシズさんの旅の邪魔をしてしまって……」
「そんなことはない」
どれだけ言ってもシズは認めようとしなかったが、要するにキノだけが、シズから遠く離れた部屋に入ることになったのだ。
「わかりました」
くるりとシズに背中を向けて、キノは自分の部屋へと向かっていく。ペタンと潰れた犬耳と、すっかり元気を無くして垂れ下がるしっぽが、どうにも痛々しかった。
「ごめんなさい、シズさん。本当ごめんなさい………」
部屋に入る直前、ちらりとシズの姿を見てから、キノはもう一度謝罪の言葉を口にした。
シズは答えなかった。
バタンとドアが閉まって、廊下にはシズだけが取り残される。その手は何かを耐えるように硬く握り締められて、細かく震えていた。
「俺は……馬鹿だ……」
魔が差したとしか言いようがない。気が付いた時には、キノだけを良い部屋に入れるように、ホテルの支配人らしき男に告げていた。
疲れていたのだ。
四六時中キノといっしょにいて、それで何もかもが上手くいかなくなって、そういう状況にウンザリして……。
そんなウンザリが怖かった。
シズは本気でキノの事が好きだった。だからこそ、そのキノに自分が『ウンザリ』なんて感情を抱く事が怖かった。そのウンザリへの恐れがまたウンザリを増幅させた。
だから、シズは自分がウンザリに飲み込まれる前に、キノを自分から引き離した。この連鎖を断ち切るために。
それがどんなショックをキノに与えるか、わかっていたはずなのに………。
「陸がいたら、怒るだろうな……」
なんて、今はいない相棒の名を呟いても虚しいばかりだった。

素直に部屋に戻る気にもなれず、シズはいつの間にかホテル一階のロビーにまで降りてきていた。
そこにはまだホテルの支配人のタキシード男がいて、ニコニコと得体の知れない笑顔を振り撒いていた。
自分から話し掛けることも出来ず、所在なげにソファーに見を預けていたシズを見かねたのか、男が話を振ってきた。
「あの、ちょっといいかナ?アンタがたが話してた神様、私知ってるヨ」
そもそも話し掛けられるなどとは思っていなかったシズが、驚いて顔を上げる。
「ウン。すっかり忘れてたんだけどネ。私その辺の国、住んでたヨ。今日の話聞いて思い出しタ」
「え?」
たやすく話しに食いついてきたシズに気を良くして、支配人は身を乗り出すようにして、ニコニコと話を続ける。
「ただネ、あのお嬢ちゃんの聞いた話、かなり大雑把になってるヨ。大事な部分が端折られてル」
「そうなんですか?」
「アア、そうだヨ。あれじゃオチの部分がすっぱり抜けてるんだヨ」
支配人の記憶によると、神様の力でなりたい者になった人間は、どれも必ず最後には自ら元の状態に戻るのだと言う。
「願いがかなってもいい事ばかりじゃなイ。失うものもあったんだヨ。元の生活にあった良い部分を失ってしまうんダ」
そしてお話の登場人物達はそろってそれに耐えられなくなる。お話の最後、王様は元の靴職人に、偉い僧侶も元の百姓に進んで戻ってしまう。
「人間ってのはなにしろ、矛盾だらけだからネ。相反する願いを持ってしまう事なんて当たり前、だから苦しいんダ。
願いだけじゃなイ。資質も同じだヨ。
私だってマトモなホテルやりたいのに、持ってるノウハウがアレだったもんで、気張って自分でデザインしたホテルが完成したら、この通りだヨ」
そこで少しだけしょげたように、支配人はわざとらしく肩など落としてみせる。
「この国もネ、見ての通りのちょっと道を外れた奴らの集まりだヨ。国民のほとんどは何かの理由で国を追い出された奴だヨ。
みんな本当はごく普通に暮らしたかったのにネ。ちょっとした運命のさじ加減で出来なかったんダ。そんな人間がやり直しを決意してやってくるのがこの国」
みんなと同じ道を行っても、道から外れて一人になっても、苦しくてくたびれてしまった人間の集まり。
願いも能力も矛盾なく、ピッタリはまってくれる場所があれば、誰も苦しまずにすんだのに。
でもそんな場所はなくて、こっちを取ればあっちを失い、あっちを取ればこっちを失い、なんだかんだで多くのものを失ってしまう。
「あの神様はネ、そんな人たちを助ける神様。今持っているものを失うのは辛いから、色んなものを諦めた人のことを、大丈夫だって見守ってくれル。
失う事を覚悟で、勇気を持って踏み出そうとする人に、せめてそのためのチャンスをあたえようとしてくれる神様」
話を聞きながら、シズはぼんやりとキノの事を考えていた。
キノの一番の願いとは何だろう?
それはやっぱり旅をする事ではないか?エルメスに跨って、孤独に旅を続ける事ではないのか?
しかし、今彼女は、彼女の望む形の旅をしていない。バギーに3人で揺られる旅は、彼女の望む一人旅ではないし、シズ達の旅はそもそもキノの旅とは目的が違う。
だけども一緒に旅を続けている間、彼女は実に楽しそうだった。本人も言っていたことだけど、かなりはしゃいでいた。
キノが自分のための旅、一人きりの旅をするために犠牲にしたものが、シズ達との旅にはあったのだ。
親しい人間と過ごす旅の時間。
多分それこそが、あの神様が受け取った、キノの願い。
「やっぱり馬鹿だ、私は……」
うるさい位に自分の事を陸だと主張して、その影で彼女は何を考えていたのだろう。
不安だったのかな?
不安だったんだろうな。
突然、不思議な力で成就されてしまった願望は今にも崩れ落ちてしまいそうで、そこが自分の本来いるべき場所じゃない事が切々と身に染みて………。
はしゃいで、引っ掻き回して、今自分がシズ達と旅をしているという事を感じたくて、無茶苦茶なことばかりをした。
せっかく願いが叶ったのに、それ以外どう振る舞って良いのかがわからなかった。
シズがやったのは、そんなキノの叫びに耳を塞ぐことだった。
なぜならシズも、それ以外にどうして良いのかわからなかったから。
キノと一緒にいられて嬉しいのに、突然現れた彼女に何をしてあげればいいのか、全くわからなかったから。
「だが、まだ遅くはない………」
シズが立ち上がり、支配人の方に向き直る。
「面白いお話、ありがとうございました。私は……行ってきます」
「そうかイ。楽しんでもらえたら、幸いだヨ」
一礼してから、シズは足早にエレベーターの方に向かう。ボタンを押してすぐ扉が開いて、中に乗り込もうとしたところでシズは振り返り
「ここに泊まれて良かったです。なるほど確かに、この国一番のホテルです」
面食らったような顔をした支配人に一礼してから、再びキノの部屋がある階へと昇っていった。

シズに避けられてると気付いてから、キノはすっかりボーッとしてしまっていた。
どれぐらいボーッとしていたかというと、コンコンとドアをノックする音を聞いた時、
「はい、シズさんですか?」
「さっきはすまなかった、キノさ…うわああああああっ!!!?」
「へ?」
「キ、キ、キノさん、キノさん服は……っ!!?」
シャワーを浴びていた事すらすっかり忘れて、ほとんどスッポンポンの状態で出てきてしまうぐらい、ボーッとしていた。
「ご、ご、ご、ご、ごめんなさいっ!!!」
などと叫んでからドアを閉めて、急いで衣服を身に着けてから、改めてシズを部屋の中に招き入れる。
キノと話をしようと意気込んでやって来たシズは、これですっかり出鼻を挫かれる形となった。正直、気まずくて何も話すことが出来ない。
というわけで二人は、仲直りをする事も出来ず、でっかいベッドの上に微妙に距離を置いて座る。
「…………」
「…………」
お互い会話には踏み出せずに、なんだか拷問じみた時間だけが、豪華な内装の部屋の中を流れていく。
動いているのは左右に一定のリズムで振れるキノの犬しっぽと、ときおりピクンと動く犬耳ぐらいのものだった。
それでもまあ、沈黙なんてものも、そうそう長く続けてはいられないものだ。
「………っ…っは…はくしょっ!!!」
最初に均衡を破ったのは、キノのくしゃみだった。なにしろ慌てて着替えたもので、濡れた頭をほったらかしにしていたのだ。体もすっかり冷え切っていた。
「………大丈夫か、キノさん?」
「……くしゅっ…だ、大丈夫です。大丈夫ですから……」
ベッドの上に放り出されていたタオルを片手に、シズがキノのすぐ隣に座りなおす。頭の上からそのタオルをかぶせて、キノの髪の毛についた水をごしごしとふき取る。
「……ん、こんなものかな」
シズとしては結構丁寧に拭いてあげたつもりだったが、タオルをどけたキノの頭は髪の毛はボサボサで、犬耳もすっかりへたれてしまっていた。
ちょっと悪いかな、なんて思いながらも、シズはそんなキノの顔を見てくすりと笑う。
つられてキノも、ふっと微笑んだ。
そこでようやく二人は、自分たちがほとんどピッタリと言っていいぐらいに、くっついている事に気がつく。
「………キノさん」
「………あ」
ごく自然にシズは、キノの体を抱き締めていた。キノは素直に、その腕の暖かさに身を委ねた。
「……体も冷えてしまってるな。慌てて着替えさせて、すまなかった」
「いいですよ、シズさんの腕があったかいですから……」
優しく優しく、シズの手の平がキノの背中を撫でる。その度にわずかに犬耳としっぽが揺れて、二人はまるで本物の犬と飼い主みたいに見えた。
「困らせてばっかりで、ごめんなさい。シズさんと一緒にいられて嬉しかったから、ボク………」
「それなら私だって同じだ。キノさんの気持ちを、全く考えていなかった……」
「……それに、嘘もついていました。あの神様にボクがした本当のお願いは……」
キノが言い終わる前に、シズの唇がその言葉を遮る。
言わずともわかる事だった。キノが今ここにシズと一緒にいる事を考えれば、そのお願いが何であったかなど、簡単に知れる。
「ずっと会いたかった。話がしたかった。だから、ありがとう。キノさん……」
ベッドの上に、キノの体を押し倒す。なるほど最高の部屋らしく柔らかいベッドに、抱き合った二人の体は沈み込んでいく。
「…………ボクもです」
ようやく、二人とも素直になれた。
ぷつりぷつりとボタンを外し、先程急いで着たばかりの服を、シズの手の平が脱がせていく。
予想以上に湯冷めしていて、キノの体は冷え切っていたが、冷たい肌をシズの体温が温めていく感触は、キノにとって心地の良いものだった。
紅く染まったほっぺから、首筋をなぞって鎖骨を撫でて、ちっちゃな胸の上を、平らなお腹の上を、シズの指先が滑っていく。
「……あ…は…シズさん……シズさんの…ゆび……」
思わず口から漏れ出た吐息すら、自分のものにしようとしているようなシズの甘いキスがキノの唇を何度も濡らす。
言葉に出来ない思いの全てを託すかのように、何度も何度も舌を絡ませ合う。
震えるしっぽを、揺れる犬耳を指で撫でてやるたびに、キノの体は敏感に反応して、シズの腕の中で身をくねらせる。
「…あっ…ふあ……そこ……ひああっ!!」
両の胸の上で精一杯に自己主張する可愛いピンク色の突起を、シズの指先が摘み上げ、押しつぶし、転がし、弄ばれるたびに走る電流だけで、キノの思考は蕩かされていく。
既に早鐘を打つように高鳴っている筈なのに、シズに触れるたびに加速していく鼓動は一向に静まってくれる気配もない。
体中が熱くて、痺れて、気持ちよくて、訳がわからないぐらいに押し寄せる感覚の洪水の中で、キノはただただ翻弄される。
唯一つ確かなのは、今この感覚を与えてくれる人が、愛しくて愛しくて堪らないということだけ。
「ああっ!!…ふあっ……ひあああっ…シズさぁんっ!!」
無我夢中でシズの体にしがみつきながら、キノはシズのズボン、既に大きくなった彼のモノでパンパンになった股間に手を伸ばす。
布地越しにでも伝わってくるその熱さに、キノの口からため息が漏れる。
「……ああっ…シズさんの……熱い…」
「……キ、キノさん…」
震えるキノの指先が、ゆっくりとファスナーを下ろしていく。
「…ボクにも…させて……ください…シズさん……」
シズはキノの促すままに体勢を変え、ベッドの上に仰向けになる。その股間のあたりに顔を埋めるようにして、キノはシズのモノを口に含んだ。
「…あ…んむ…んぅ……くちゅ…ぴちゅ……」
小さな彼女の口で扱うには少し大きすぎるシズのモノに、キノは懸命に舌を絡ませ、熱くたぎる怒張に少しでも刺激を与えようと奮闘する。
根元の部分から先の方へと何度も舌を這わせ、先端部分を舌先でつつき、口に含んだ亀頭に唾液を絡ませる。
たどたどしいけれど一生懸命なキノの舌遣い、顔を紅くして頑張るキノの必死な表情が、シズのモノをどんどん熱くしていく。
「くぁ…ああっ……キノさん…もう…」
「………っ!!?」
そしてついに限界を迎えたシズは、白く濁った熱をキノの口腔内にぶちまける。
「……はぁ…んぅ…んんっ…シズさん…すごく濃い……」
喉の奥へと打ちつけるようなその勢いに少しむせながら、キノはねばつく白濁液をゆっくりと嚥下した。
シズは必死の奉仕でクタクタになってしまったキノの体を、そっと抱き寄せてやる。
「……えへへ…気持ちよかったですか?…バター犬…です……」
なんて軽口を叩きながら、キノはパタパタと嬉しそうにしっぽを振る。
「…ああ、気持ちよかったよ。ご褒美を、あげなくてはな……」
こちらも嬉しそうに笑ったシズは、キノを仰向けに寝かせて、再びその小さな体の上に覆い被さる。
見上げるキノと、見下ろすシズの視線が交わった。
「好きです」
「好きだよ」
ふっと微笑んで、どちらともなくキスを交わして、また微笑む。
「………シズさん、来てください」
こくりと肯いたシズは、自分の熱く脈打つモノを、キノの熱く湿った大事なところにあてがう。先の部分が入り口のところを撫でて、くちゅりと音を立てた。
「…キノさん、いくよ」
シズの瞳を真っ直ぐ見据えたまま、キノも肯く。
ゆっくりと、シズは挿入を開始した。柔らかく熱い肉の壁を押し割るようにして、シズのモノがキノの中に沈みこんでいく。
もっと深く、もっと奥へ、根元まで埋もれたシズのモノを、キノのアソコはきゅっと食い締め、熱く濡れた肉で包み込む。
「動かすぞ、キノさん」
優しく、穏やかに、シズは自分のモノを前後に動かし始める。
何度も何度も、互いの存在を確かめるようにキスを交わす。途切れ途切れの息の合間に互いの名を呼び合い、またキスをする。
知らず知らずの内に二人の体から迸る熱は大きくなってゆく。声が大きくなっていく。互いを求める行為は段々とペースアップしていく。
「…あっ!…ひあああっ!!シズさ…シズ…さんっ!!…ああああっ!!!」
突き入れられるごとに、キノの頭の奥に火花が舞い散る。快感が津波のように襲いかかり、理性はキノの指の隙間から零れ落ちていく。
我を失い、夢中になって、行為にのめり込んでいく。嵐のような快感の渦の中で、キノはただ必死でシズの体に抱きついていた。
ぎゅっと背中にしがみついてくるキノの細い腕、それが震えるのを感じながら、シズは何度もキノの中をかき回す。かき混ぜる。
「…ふああああっ!!シズさぁんっ!!シズさんっ!!…きもちいいっ!!!きもちいいよぉ!!!!」
「くぅ…ああっ!!…キノさんっ!!!」
シズがキノを抱き締める腕の力も、段々強くなっていく。
抱き締めてみると、キノの体は細くて小さくて、シズの腕の長さが余ってしまいそうなほど頼りなくて、今にも消えてしまいそうで、それが本当に愛しくて……。
触れた肌は絹のようで、見つめる瞳は星空のようで、そんなキノの全てを一欠けらだって手放したくなかった。
体の奥からこみ上げる熱に浮かされて、シズはキノの体を必死で突き上げた。
「ふあっ!?…ああああっ!!!……シズさんっ!…ボクぅ!!!ボク…もう……っ!!!」
「うあ……キノさん…私も……もう…」
体が、心が、弾けてしまいそうなほどに熱くなっていく。おかしくなってしまいそうな、熱と、熱と、熱。
それでもただ目の前のシズが、腕の中のキノが愛しくて、二人は夢中で、腕を、脚を、肌を、互いの最も熱い部分を、その熱を絡ませ合う。
お互いがお互いの熱を、愛しさを増幅させていく激しい嵐の中、ついに二人は、その高みへと登りつめた。
「ふあああああああっ!!!!シズさんっ!!!シズさぁああああああんっっっ!!!!」
「キノさんっっ!!!」
痙攣を起こしたように体を震わせ、背中を仰け反らせて、キノは絶頂に達した。シズの熱が、キノの中で弾けて、キノの中を満たしていく。
「…あ…うあぁ…シズ…さぁん…」
くてんと力の抜けた体で、それでもシズの名を呼び続けるキノを、シズは優しく抱き締めた。
ぺたんとした犬耳を、震える背中を、さすがにぐったりとしたしっぽを、シズの手の平がいたわる様に撫でる。
厚い胸板、優しく包み込む腕の中で、キノは聞き取れるか聞き取れないかの、か細い声でつぶやく。
「…好き…です…シズさん…好き……」

ジリリリリリリリリリリリッ!!!!とけたたましい電話のベルで、シズは目を覚ました。
起き上がったベッドの上には、シズ、キノ、ティーが仲良く川の字になっていた。あの後、シズはキノを連れてティーの待つ部屋に戻ったのだ。
ほったらかしにされて腹を立てたティーが手榴弾片手に暴れるのをなだめて、なんだかんだで三人一緒のベッドで眠る事にしたのだ。
それにしても、モーニングコールなど頼んだ覚えはないのだが……。
考えながら、シズはすやすやと眠る二人を起こさぬよう、手早く電話の受話器をとった。
電話の相手はホテルの支配人、なにやら慌てている様子だ。最初は訳のわからなかったシズだったが、話の内容を理解するにつれて真剣な表情になっていった。
「はい……はい?…人間の言葉を喋る犬?…それが私の名前を?…どこにいるんです?」
電話の受話器を置いて、シズは立ち上がる。同じように目を覚ましたのか、キノが目を擦りながら状態を起こす。
「どしたんですか?シズさん」
そう言ったキノの頭に、既に犬耳がなくなっているのを確認して、シズはキノに電話の内容を告げた。
「どうやら陸が見つかったようだ。それも、エルメス君と一緒に……」

ホテルの前の人通りを眺めながら、長身の男と、真っ白い大きな犬と、12歳ぐらいの女の子が佇んでいた。
「はい。その神様には、私もお願いをしました」
久しぶりに自分の定位置、シズの傍らに戻ってきた陸は、ぽつりぽつりとシズから離れていた間の事を話していた。
どうやらキノが犬耳になっている間、陸は二足歩行の犬人間になって、エルメスに跨って旅をしていたらしい。
「どうして、そんなお願いをしたんだ、陸?」
「それは………私は怖かったんです。シズ様と旅を続ける事が……」
長い間復讐を唯一の目的として旅を続けていたシズ、彼はいつでもその果てに自分が死ぬ事を考えていた。
シズと一蓮托生、どこまでもついて行くと誓った陸だったけれど、その日が来るのを思い描くのは怖かった。
大切な主人が、シズが死んでいく事を想像して、何度も眠れない夜を過ごした。
しかし、キノのお陰でシズは命を失わずにすんで、全ては一件落着したように思えたのだけれど……
「シズ様がティーに刺されて死にそうになったあの時以来、以前ほどではないですが、またあの恐怖を思い出すようになりました」
ふとした偶然で、キノが祈ったのと同じ神様の祠を見つけた陸は、誰にも言えないその思いを、どこにいるとも知れないその神様に語った。
言葉にして吐き出す事で、少しでも楽になりたかったのかもしれない。
「だけど、私はどこかで、失ってしまうなら最初から私一匹の方が、いっそ楽じゃないかと思ってしまった。だから、こんな妙な事になってしまった……」
沈んだ口調で話す陸の頭を、シズは優しく撫でる。
どこの誰とも知れない神様は、それぞれ正反対の願いを抱いていたキノと陸の立場を、気まぐれに入れ替えてみたらしい。
全ては人の身であるシズには想像もつかない出来事だ。
「辛い思いをさせていたんだな……」
陸はその言葉には答えずに、ただシズの手の平に撫でられながら、甘えるようにシズの足へと体をすり寄せた。
「まあ、二足歩行の陸は見てみたかったが」
「行く先々で子供にたかられて大変でしたよ」
ほとんど、きぐるみのような二足歩行の陸が、子供たちに引っ張られたり、しがみつかれたりしている様子を想像して、シズはくすりと笑う。
とその時、エンジン音と共に道の向こうから、こちらも久々にエルメスに跨ったキノがやって来た。
「……でさー、そこでまた、あのバカ犬がね…」
などと、どうやらエルメス、陸の悪口を言っていたらしいが、シズ達の真ん前で停車したので、当の陸にもそれが丸聞こえになってしまった。
「こら、ポンコツまた変な事を言ってたな」
「ん、バカなバカ犬、そんなとこにいたんだ。聞こえてた?気付かなかったよ、ごめん」
もちろん、わざとだ。
ギャーギャーと吼えたり叫んだりし始めた犬とモトラドは置いておいて、エルメスからおりたキノはシズの前に立つ。
「行くのかい?」
「はい、三日間がボクのルールですから……」
キノの頭から犬耳が消えて、彼女の本来のルールを外れた時間は、既に終わりを迎えてしまった。
ほんの少しの間だけ、同じ方向に向かっていた二人の道は、再び別々の方向へとのびていく。
今度はいつ、会うことが出来るのだろう。
そもそも、果てしない旅の空の下で、もう一度会う事なんて出来るのだろうか。
そんな思いをちっとも顔に出さず、向かい合った二人はただただ優しく、少しだけ寂しそうに微笑み合っていた。
「楽しかったよ」
「ボクも、楽しかったです」
シズの大きな手の平が、キノの小さな頭をくしゃくしゃと撫でる。その間だけキノの微笑から寂しげな影が抜けて、嬉しそうな笑顔に変わる。
「……それじゃあ、ボクはそろそろ」
「そうか」
再びキノがエルメスに跨り、エンジンをかける。
「………あのさ、バカ犬。結構、楽しかったよ」
「………まあ、私もそれなりに……」
1台と一匹の間にすらしんみりとした空気が流れる。別れの時だ。
帽子をかぶり、ゴーグルをかけて、キノの瞳が自分の行く道をまっすぐに見据える。
「また会おう」
「はい」
それは全くもって当てにならない約束だったけど、シズとキノは心の底からの言葉で、その約束を交わした。
ドルン。
滑るようにモトラドは走り出す。
「本当に、楽しかったです。ワン!」
口の中でそう呟いて、キノはエルメスのスピードを上げる。シズとキノ、二人の間の距離が段々大きくなっていく。
やがてシズの視線の先で、モトラドは道のはるか向こうへと消えていった。

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